「江戸の仇を長崎で」の類型

本日もラブホテル バリタイ福生店のHPにご来訪誠にありがとうございます。担当のスタッフA.Iです。

バリタイ福生店のアメブロ

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという言い回しがありますね。
20代の若者は同じ内容を別の言い方をするのでしょうが。
お坊さんのことを憎たらしいと思ったら、そのお坊さんが身に着ける袈裟のことまで         憎たらしく思えるってことですね。

ある人や物事がうとましく感じられると、それに関連することもうとましく感じられるって事ですね。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いは元々はどういう状況だったのでしょうか?
勝手に想像すると
戸籍制度として檀家制度が利用されていた江戸時代に
無宿者ではない事を証明してくれるお寺があった訳ですね。
そのお寺のスタッフたるお坊さんは平民がトラブルになった時に
トラブルを解決するのが難しかったのではなかったか?と考えてしまいます。
平民が言いたい文句も言えず袈裟まで憎くなるって事だったのですかね?


例えばワーグナーの楽曲はあまり好きではないという人がいたとします。
その理由が何かを予測すると

そもそも、ワーグナーのオペラの楽曲はドイツ語の歌なので理解できないから
あまり好きではない。
歌は日本語に限るという人もいるでしょう。

仰々しい表現、そこまで大げさにやらなくてもいいんじゃないか?
だから、あまり好きではないという人もいることでしょう。
(ストーリーの登場人物の心象風景を表しているはずですけどね。話はちょっとずれますが、     神話や宗教の経典では主人公が偉業をなした時には、天の祝福の喇叭が鳴り響いたって        表現があったりしますね。)

ヒトラーがワーグナーを好んだので
ワーグナーの楽曲はあまり好きではないという人も0人ではないでしょう。
ゲルマン民族の優位性を広めたかったヒトラーですが
チャイコフスキーをまったく聴かなかったという事はないと思うんですけどね。
ヒトラーの全盛期にはヒトラーによる公式の音楽演奏会では
ひたすらドイツ語圏の作曲家の楽曲が演奏されていたのでしょうね。
その中でも特に表現力が抜群だったワーグナーが好みだったのでしょう。
ワーグナーは「ニーベルングの指環」も作ってますしね。

「ヒトラーと共感していることになるから、ワーグナーは好きではない」は
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの例になりますよね?
ワーグナーに罪はありませんが(笑)

世にはベルリンフィルハーモニー交響楽団の演奏するワーグナーの楽曲の熱烈なファンも       いらっしゃる訳です。

確かにカラヤンはヒトラーとの関係の責任を糾弾されましたけれど。

カラヤンに対する糾弾も
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いなのでしょうか?

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