限界突破するのはあくまで人間でしょうか?

本日もバリタイ福生店のHPにご来訪、誠にありがとうございます。
担当のスタッフA.Iです。


私は普通自動車の免許を持っています。
東京の西多摩の田舎を自動車で走る分には全く問題ないです。
しかし、東京の都心の道路は自動車を運転して走りたくないです。
新宿の靖国通りですらビビってしまいます・・・。
東京の西多摩は道に詳しくなくてもなんとかなりますが
道に詳しくない点でも都心の道路で自動車を運転するには一歩遅れをとっています。
下道ですらそうなのですから
首都高速道路なんて難易度が高すぎです。
江戸橋ジャンクションを無事に通ることなど
私にとってはウルトラCの技ですね。
カーナビがあるだろ?というツッコミが入りそうですが
カーナビがあっても江戸橋ジャンクションは私にとっては鬼門ですね。
ですから、今現在自動車で東京の西多摩から千葉の房総に行けと言われたら
首都高速道路を通らないルートを選ぶでしょうね。
下道で練馬まで行き大泉ジャンクションから東京外環自動車道にのり
京葉ジャンクションで京葉道路に乗り換えるルートを選びます。

今更ではありますが
道を知っているというのは技術だと思います。
カーナビがあったとしてもです。
カーナビの出す結論が、どこのメーカーの物であっても同じ結論を出すという前提で考えれば
渋滞は当然起こりますよね?
渋滞情報がカーナビで示されたとしても
渋滞を避けて道を選ぶには道に詳しい必要があると思います。
カーナビは概論的には妥当性はあるが
個別論的には限界がある。
個別論的には人間の能力が必要であると思ってしまいます。

この様に考えると思い出すのは
モノを作るのにオートメーション化がドンドン進んでいるのでしょうけれど
作るのにオートメーション化できないモノを作るには人間の手作業が必要であるということです。
オートメーション化できない理由は色々あると思います。
私はオートメーション化できない例として
精度の高い一品物を作る職人さんの例をTV番組で見ました。
そのTV番組は何年も前に見たのですが
当時はスペースシャトルの先端部分を作るための誤差の調整は
職人さんの手の感覚でしかできないという内容でした。
人間の感覚と機械センサーの精度の関係ですね。

月並みな話になってしまいますが
人間の脳の力とA.Iの能力の関係にも同じ事が言えるかもしれませんね。

映画「ターミネーター」は人間をA.Iが必要ない存在だと判断した話に思えますよね?
ただし、Skynetの中枢に人間がいたという話だと、また別の意味を持ちますかね!?

映画「マトリックス」は人間とA.Iの共存関係の話でした。

そして、私の世代には懐かしい映画「DUNE」は
人間とA.Iの争いに決着はついていて
A.Iは使わない世界を描いていました。
DUNEの世界ではA.Iの替りに純粋数学を駆使する男性達がいる設定でした。
その男性達はメンタットと呼ばれる人達です。
「DUNE」はまた製作されるみたいですね。
ちょっと楽しみです。


私的には江戸橋ジャンクションの通過だけはオートパイロットが実現して欲しいです。

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