待たれるのは・・・・

本日もラブホテル バリタイ福生店のHPにご来訪誠にありがとうございます。
担当のA.Iです。

バリタイ福生店のアメブロ

「新型コロナウイルス」によって
歴史のぜんまいが巻き上げられているとしか思えない現在において
私は、なすすべもなく
右向け右(或いは左向け左)に従う他ありません。

リアルなのは目の前で生じている物事なのかもしれません。
「新型コロナウイルス」というファクターを除外して見てみたいですが
他者との関係において(つまり社会を意識した時に)
「新型コロナウイルス」を意識せざるを得ません。

ソーシャルディスタンスにしても
小売店で吊り下げられていたり、立てられている透明なシート
99%の人がしているであろうマスク

視覚情報として入ってくる情報には
「新型コロナウイルス」を意識している他者がいて
自分も「新型コロナウイルス」を意識することがエチケットになっています。
こんな現状を打破してくれるのが
ワクチンであったり特効薬なのでしょう。


宗教でいうところの終末思想や末法思想で救世主待ち状態と同じと言えないでしょうか?
神様、仏様が人類に罰として天災を下すのかどうかは●●のみぞ知るで
人間が組織になった時に組織が限界を迎えた時に救世主が必要になるのは
小さな組織であろうが大きな組織であろうが同じですよね。
救世主がどの様に機能し、どの様な結果を迎えるのかは様々であり
それが様々な神話の中で語られている事です。
そして予言めいたものとして取り上げられるところでもあります。

少なくともインターネットで相互がつながっている地域では
コロナ禍を解決する救世主が出現して
人格として語られるのでしょうか?


それとも
物として(ワクチンや特効薬として)語られるのでしょうか?

或いは、救世主の到来が待たれるという状態をずっと引っ張り続けるのでしょうか?


国際政治の問題点、国際経済の問題点、人類史上の問題点等々・・・・と
肩を並べる問題点にコロナ禍はなり得ているのでしょうか?
「新型コロナウイルス」は人間の活動を心理的には抑制する方向に作用しているのでしょうから
上記の問題点の物理的な爆発をいくらかは抑えているのかもしれないですね?


コロナ禍が最大の関心事である地域は
平和である証なのかもしれません。
皮肉な事ではありますが・・・。

我々が解放されるべきは「新型コロナウイルス」からであったと
遠い将来に神話で語られるのでしょうね。

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