お盆休み!

本日もラブホテル バリタイ福生店のHPにご来訪、誠にありがとうございます。
担当のスタッフA.Iです。

バリタイ福生店のアメブロ

地方から東京に来ている人が地方にある実家に帰るというのが例年の流れですよね。

東京生まれ東京育ちの私には帰るべき田舎というのがありません。
確かに生まれも育ちも東京とは言っても西多摩地域なので
23区内に住んでいる人にしてみたら
西多摩地域は田舎でしょうね。
メディアでは青梅、檜原、奥多摩は東京の奥座敷と紹介されたりすることもあります。
私は西多摩地域に住めて良かったと思っています。
自然があり都内へのアクセスも便利ですから。
不動産屋のコピーみたいですが、本当にそう思っています。
現在の東京の西多摩地域は元々は神奈川県でしたが東京都となりました。
いわゆる都内と言われている地域が東京市であったわけです。
多摩地域が東京都になった理由は
東京市にいる明治新政府と
徳川家の直轄領であった多摩地域の人々との軋轢だったのではないかと思ったりもします。

大日本帝国憲法の草案が考えられていた頃に
多摩地域の五日市で民間による憲法の草案が作られて
「五日市憲法」と呼ばれていると
私が高校生の時の社会科の授業で出てきました。
残念ながら内容は憶えていません。

自由民権運動という活動がありましたが
明治新政府に対するアンチ勢力だったのだろうと思います。


私たちにとって日本史の中で最も古い対立の歴史は
大化の改新です。
その後も日本列島内で争いは続いて
関ケ原の戦いで
徳川方と外様大名達という対立の構図ができ
その後、徳川幕府によって名目上、鎖国をしつつ内政が行われ
アメリカから黒船が来て、徳川幕府による内政が継続できなくなり
関ケ原の戦いの外様大名だった勢力による明治新政府が作られた訳です。
(これも、あくまでも表向きの話なのかもしれませんが・・・。)

鎌倉幕府以降、内政の権力は武士が握っていたように見えます。
(南北朝時代もありますけれど。)
鎌倉幕府以降の朝廷の動きは私自らが調べなければ
知ることができないのでしょう。
(調べる事すら出来ないのかも?)
そんな中でも
現在の天皇家とオランダ王家の親密さは
江戸時代の鎖国を通じても国交を続けられていた歴史があるからなのだろうという          理解をしたくなります。
では、清の朝廷との関係は?
李氏朝鮮の朝廷との関係は?
と問いたくもなります。
この切り口で近現代を見てみるのも面白いかもしれませんね?
朝廷の役割は外交であったと言う論者もいたはずです。
この視点からすると
江戸時代には権力が二重だったが、明治になって権力が一元化されたとも言えるかもしれません。
日本で欧米の様な近代国家になるためには権力を二重にしておくことはできなかったのでしょう。

コロナ騒ぎで今後日本のみならず世界がどうなるのか?
私には皆目予想はできませんが
歴史は、やはり激動なのだなぁと思う次第です。


バリタイ福生店は
8月8日(土)~8月16日(日)は
お盆期間中となります。
通常の料金・時間体系とは異なります。
8月8日~8月15日は土曜日の料金体系となり
8月16日は通常の日曜日の料金体系となります。
お盆期間中の料金に関する館内の掲示物等も確認していただけるとありがたいです。

お盆休みを楽しく過ごせるか否かはあなた次第です!

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