本日もラブホテル バリタイ福生店のHPにご来訪、誠にありがとうございます。
担当のスタッフA.Iです。
(バリタイ福生店のアメブロ)
アメリカの南北戦争で使われた武器の中古品が、日本の江戸時代が終わる混乱時期に 使われたそうですね。
1861年から1865年に南北戦争が行われ
日本で大政奉還が行われたのが1867年で、戊辰戦争は1868年から1869年の期間だったと 言われています。
世界中を巻き込んだ第二次世界大戦後の
数多くの局地紛争が起こった原因は何だったのでしょうか・・・・?
覇権国家という言葉があります。
ヨーロッパの歴史観では
アレクサンダー大王の帝国が最初なのでしょうか?
インドは統一王国ではなかったでしょうし
当時中国の王朝の版図も
アレクサンダー大王の帝国の版図ほどではなかった訳です。
覇権国家の覇権は移動するという話もあります。
覇権国を支えている目に見える条件として
覇権国家が「新しいもの」であると覇権国家の構成員と覇権国家が広がろうとする版図の最前線にいる人々に思われる必要があるのかもしれません。
国家の枠組みが安定している国家の中では
保守派と革新派どちら側がエネルギーを費やす必要があるかを考えれば明らかになるでしょうか?
それは音楽の演奏者の精神的な負担でも例えることができるでしょう。
演奏者がライブで演奏する時に「ミスをする」ということが認識されるのは
何らの基準があってその基準から演奏者が外れた場合ですよね。
作曲家が書いた楽譜通りに演奏しなければならない場合にそういうことがあり得ます。
確かに作曲家の書かれた楽譜は解釈をされるものであり
演奏者によって解釈は異なるものではあります。
しかし、明らかなミスはある訳です。
ライブの演奏では、ミスをした時に演奏を止めないのが職業的音楽家の必須の条件らしいですが
ミスがミスであると認識されるのと
ミスが元々許される前提であるのとでは
演奏家にとっては精神的な負担は違うのではないでしょうか?
つまり、国家の枠組みが安定している国家の中で
保守派のほうがエネルギーを使っていることにならないでしょうか?
音楽の例え話を使えば
受け継がれた伝統が基準であるのならば、ミスであるかもしれませんが
伝統から外れることは新しいことでもある訳です。
「新しいもの」であると人々に認識されないものは
ありふれたものとなり人々に認識すらされない当たり前のものとなり
やがては、人々の意識を縛り付ける束縛となる場合もあるでしょう。
第二次世界大戦後の米ソ冷戦、米ソ冷戦ではアメリカは勝ったことになっており
世界の覇権国家と言われていました。
世界の警察を自認する国であり
局地戦にも介入していたと思われますよね?
そのアメリカが今度は大統領選挙で外国から介入されているという噂話が出ている訳です。
四年前もそうでしたし、今回もそういう噂話は流れていますね。
選挙の行方は
太陽の黒点の周期或いは木星の影響でしょうか?
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