信じる者は救われる?

本日もバリタイ福生店のHPにご来訪、誠にありがとうございます。
担当のスタッフA.Iです。

バリタイ福生店のアメブロ

新型コロナウイルスのワクチン接種が
いよいよ始まりましたね。
医療関係者の皆様から摂取開始のようです。

ワクチン接種という人生でいうイベントのゴールがどの様な形で
我々に示されるのかは
私には想像もつきません。
昨年から精神的に(実際に罹患なさった方もいますが)
苦しめられ続けている事態に
一筋の光が差したのでしょうか?

毎日公表される
新規感染者数。
新規感染者数という言葉にもすっかり慣れてしまいました。
今後何かの会の会員にサブスクする際に
「ご新規様」と呼ばれる度に
新型コロナウイルスの事を思い起こす事になるのでしょうか!?
我々世代は。


これは割と有名な事ですが
儲という漢字は信者ですね。
例えば
誰かが何かの会の会員になることで
その会を主催してる人達は儲けるのであり
サブスクする事は信者になる事ですね。


信者が信じる者であるなら
儲ける事は信じてもらう事かもしれませんね。
credit cardのcreditは信用でしたね。
30年前に通販でモノを購入するために
credit cardをこんなに使用することになるなんて事は
想像できませんでした。
私のような一庶民には
丸井さんの割賦払いのためのシステム位にしか思っていませんでした。
今ではcredit cardには
ブラックカードがあることも知っています。
日本で手形による決済が2026年頃に無くなるというのも
納得できる話ですね。


信じてもらう事が儲けなのならば
信じている人が多い物事は大きな儲けに繋がっている物事なのだろうかと考えてしまいます。


確かに人間の集団を機能する組織とする事に伴って
利害関係というものが生じてしまうのかもしれませんね。
利害とは金銭の流れではなく
集団への参加者の心情もエネルギーとして作用しますから
心情的に「納得できる、納得できない」という事が生じる事態も
利害関係ですよね?


学生が社会に出てしまえば
大半は金銭によって人間関係が動くダイナミズムですが
小学校、中学校、高校の頃の人間関係は金銭の授受を経由しない
人間の心のダイレクトなやり取りであったなぁと
思ってしまいますね。
金銭が動かないから学校行事はバカバカしいという見方をする人もいましたが
若さ故のあり余るエネルギーの発散場所は
校内というドメスティックな視点では
学校行事という
参加者の記憶(つまり思い出)という価値にしかならないモノである訳でした。

意識が外に向いている人達は部活の全国大会を目指していましたね。
そういう人達の究極の目標はオリンピックなのでしょう。


人間は思い出でできていると言われます。
思い出の良し悪しは現在の自分の立ち位置によって決まるのでしょうから
小中高の学校行事であろうが
部活の全国大会であろうが
思い出としては等価なのだろうと信じたいですね。


個人のレベルでは
人生で生じる事を全て金銭で換算する事はおおよそ不可能ではないでしょうか?

誰かが決めたステレオタイプな人生を歩むのであれば
個人レベルの人生で生じる事全てを金銭で換算できると錯覚してしまうのではないでしょうか?

誰かが決めたステレオタイプな人生は
それを決めた誰かの儲けであるのは大いにあり得ますね。
(F1、スポーツのルールの改定は良い例ですよね?)

ワクワクしたり、がっかりしたりする瞬間にこそ価値があるのであると考える事は
錯覚ですかね?

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