神無月

本日もラブホテル バリタイ福生店のHPご来訪誠にありがとうございます。
担当のスタッフA.Iです。

バリタイ福生店のアメブロ

十月は神無月ですね。
日本中の神社から神様が出雲に集まる?
国津神と天津神とでは神様の行動も異なるのではないか?という素人考えも浮かびます。
そもそも日本各地の神社からある場所に神様達が集まってしまっては
神社にお参りに行くにも神様のいない神社では有難味が減ってしまいますよね?

ウィキペディアでは
神無月に神様が神社からお出掛けになるのは俗説と言っております。


捨てる神あれば拾う神あり。

今、流行りの断捨離はこれですね。
ヤフーオークションやメルカリ等のシステムがあるので成立しているのかもしれません。       かく言う私は断捨離しておりません。


モノを作っても簡単には売れない時代に
既に持っているモノを捨てさせるというのは鋭い目の付け所ですよね。
断捨離を裏付けるように
「自分が解決しなければならない問題に集中する為に部屋を作らなければならない」
というフレーズも出てきます。
モノが多いと雑念が入るという事でしょう。
自分のプライベートな空間にも目的を持った調整をしろってことですかね。
思考の断捨離と言っていいかもしれません。
思考の断捨離は、その前提となる物事から何かを選んだ結果ですよね。
断捨離は前提条件をプライベートな空間にも置くな!ってことなのでしょうか?
確かに自分のアイデンティティーを象徴するモノは捨てられないモノに分類されるのではありますが
音楽はダウンロードする時代ですらなくなりストリーミングする時代なのでしょうか?
本はダウンロードする時代なのでしょうか?
ヲタクを自認する私はダウンロードで済む場合もありますが
欲しい情報というのは
音楽で言えば聴きたい音源はCD
本でも読みたい本は紙の高価な本であったりします。

某新聞社のCMでは
「人間は毎日触れるモノで視座が養える、365日分、その差は大きい」
の様なコピーをCMに出演している役者さんに言わせております。
この言葉は熟慮が必要な言葉であるのにお気づきの方もいらっしゃるでしょう。

いっぱいのところにはそれ以上入らないのは本当の事ではあると思います。
断捨離で家から取り去られた前提条件の代わりに新たなモノが入ってくる訳です。
新たな前提条件としての新たなモノの中から何を選ぶのか?は
新たなモノが入って来た時より以前の自分の潜在意識によるのでしょうけれど
その潜在意識は何から形成されているのでしょうか・・・・・・?

捨てる神あれば拾う神ありの神は
我々の潜在意識なのでしょうかね?


現在、神無月ですから
街中で移動中の神様とすれ違うかもしれませんね?

 

 

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